今週のお題「お花見」
春がすきなのは、ピクニックがあるからだと思う
幼少期から小学生まで、家族揃って春になると必ず桜見へ行っていた。母の作った沢山のお弁当を持って、荒川区にあった自然公園へ。そこは広くて、自転車や一輪車を乗れる。なんちゃって信号機があって、自転車が乗れるようになるまでは、そこで何度も自転車を走らせた。桜の木が所々に植えてあって、花見の人がいて、そこにシートを敷いてた
疲れたらお弁当を食べ、また気が済むまで走って、最後は眠ったりした。私の遊び相手は、いつも父だった
小学生の頃は、放課後に友人と一輪車をして遊んでから帰っていたので、上手になる為に自然公園でも練習をしていた。そんなに器用じゃないけど、校庭をぐるぐる出来るくらいには乗れるようになった。上手になるって、うれしいと思った
友達に、ピクニックをしようと伝えると、めんどくさそうにする。お弁当を準備するのが面倒だったのだと今は思う。だけど当時の私は傷ついて、いつかピクニックを喜んで受け入れてくれる友達を作ろうと思った
中学生になってからは、学校で嫌なことが続き、親との関係は良くなくて、当時の口癖は しね だった。当時のことを思い出すと、本当に誰1人として味方がおらず、本当に思って言っていた。だけど、そんな言葉を発する自分が嫌で嫌で、常に怒りを募らせていた。そんな状態もあり、気付けば家族で花見へ行かなくなった
それから不登校になり、何年間も家から出れない生活を送った。両親が仕事から帰宅すると、自分の不甲斐なさに嫌気が差して、泣いたりすることは日常茶飯事。カーテンを開けることも怖くて、誰かに見られると思って、昼間でも遮光カーテンをせずには居られなかった
頑張ってコンビニへ行こうにも、呼吸が止まりそうな程に動悸がする。気付けば行こうと思ってから2時間が経っていた
両親は、そんな私を見てもいつかは大丈夫になるだろうとしか思っていなかった。怒っても優しく声掛けをしても変わらない私に、諦めていた。私はそんな状況を恐れた。なので、少しずつ自分から死ぬ気で外へ出るようにした。失敗ばかりで、心がもう無理かもと何度も何度も想い、また家から出られなくなって、それでも時間は経って焦りに押されて社会へ飛び出して、そんなこんなで今がある。今も良くないけど、当時よりは生きている感覚がある
引きこもりだった時、母に桜を見に行こうと誘われた。相変わらずの緊張で、ぼやけた思考回路のまま外へ。なんとなく、カメラを手に取り行ってみた。家にあった、デジカメ。これが1歩だった
いざ持つと、何をどう撮ればいいかわからない。そんな自分が馬鹿みたいで恥ずかしいのに、本当にわからない。ただ綺麗だと思った景色をひたすら撮った。帰宅して見返すと、うれしかった。誰かに共有したくて、Twitterを始めた。これが、今があるきっかけ
人がいる外の世界に怖いくらい緊張して、何も楽しめなかったことが、カメラを持つことで少しだけ楽しめた。自分の見るもの全てを信じられず否定し続けて、何を楽しめばいいのわからない自分の人生が、Twitterの中には色々な趣味を持つ人がおり、それを見て楽しみ方を少しずつ知った
それからはカメラを持って、母とお弁当を持って花見へ。父との距離感は変わらなくて、花見もほとんど行けない。だけど、父のことはすきだ。憎めない。憎まない。愛があるから
今年も、桜を見れた。来年は、見れるんだろうか。誰と見るんだろうか。桜を見ると、そうやって思い出す。あの時の自分から、どれくらい変わったのか。私にしかわからない、自分自身の変化を
あの頃と、変わらない。この世界が生きづらくて、人が憎くて愛おしいこと。だけど、少しは大人になったのかもしれない。これから先も、いい所もわるい所もある自分でいたい。綺麗になろうとせず、泥臭く。底の方で、這いつくばって生きることになるから
あの頃と同じように、笑い者にされたって、桜を綺麗だと想う気持ちは忘れたくないと思う