なんとなくはじめた日記

でっこぼこの散歩道。立ち止まって考える。死までの待合室

でっこぼこの散歩道

日記

寝れなくて、散歩に行った

同じく散歩中のおじさんと速度が重なって気まずかった


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海まで久しぶりに歩いた。ほとんど人が歩いていないような町なのに、家を出る前に鏡の前で自分の身なりを過度に気にしてしまう。無重力でいたい

歩いてると、言葉が浮かんでくる。荷物がないと、どこまでも歩けるような気がする。行き止まりになるまで、歩き続けたくなる

仕事へ向かう車や、仕事中の車が、横をぶーんとスピードを出して走ってゆく。それを見て、世の中に置いていかれているような気持ちで、ため息をつきたくなる

自分が居なくても幸せだろう と思える人が、誰かを幸せに出来るんだろうなと思った。自分がいない瞬間を想像して、悲観的になるような私には、到底幸せなんて、ないような気がする

長い時間を共にしている母に対してさえ、私と居ると退屈でつまらないんじゃないか。そんなことを思う日が定期的にある

一度、それを聞いたら、そんなことはないと言われた。つまらないとか、そういう感覚の域ではない。自然にそこに居れるから、黙ってることも多いし、愚痴も出てくる。難しいなって思う、人と人って

すれ違いの一瞬でさえ、相手の顔を見たり、挨拶をすることに抵抗がある。その一瞬で、読み取れる空気や相手の感情がとても苦手だから。だけど、そうやって目を背け続けていたら、自分に向けてくれたやさしさも、すべて見逃して来たんだと思う。思い返すと。それを想うと、涙が出る

 

猫が沢山いた。写真は撮らない、猫に悪いから

 

ある役者さんが、同業者の追悼の言葉をブログに載せていて、「僕はもう少し生きるよ。生きるってことは素晴らしいからね」と綴っていた

そんな風に思えるって、とても心が充実しているんだろうなって。こういう人が言う、生きているとつらいこともある のつらいは、心が充実していない人のつらいとは違うよなって。一括りにされがちだけど

いつもペシャンコに、まるで地面の柄のように轢き殺されたカニをよく見る。そのカニの死骸を見て、私もこんな風に死ねたらいいのにと思う。そんなことを思う人間のつらいとは、違うんだろうなって



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帰り、近所の人らしきおじさんがいた。杖で、脚を引きづって歩いてる。私に気付いて立ち止まり、振り向き、じーっとこっちを見てる。田舎特有の目線。目も合わせず、早足で横を去る。その先に、家から柿の木が出ていて、鳥が木を眺めてる

家の庭に着いたら、空ではカラスと鳩と鳶が追いかけっこをしている。地面には大きなバッタとカマキリがじーっとしている


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運動不足が続いた後の散歩は、脚に血が巡って、ドクンドクン音がする。この感覚が、けっこうすき。体が温まる

昨日は久しぶりに外へ出た。食材の買い出しの為に、自転車を走らせた。サングラスを忘れたこと、多くの人に会ったこと、坂道を漕いだことで、帰宅して死んだように寝れた。気持ち良く眠れた